アニメ版の鋼の錬金術師を見終わりましたのちょっとネガティブな追記

アニメ版の鋼の錬金術師、いろいろ考えさせられたり、自分を顧みたりしながら面白く見たのですが、どうしてももやもやとした気持ちになった箇所がありました。

私の個人的な偏見のような気がしたのと結構前に見た箇所なので記憶違いとかがあるかもしれないと思って書けなかったのですが、未だにときどき思い出してはもやもやした気持ちになるので、思い切って吐き出してみることにしました。

こんなに長く気にかかることはあまりないのですが…
ここまで印象深いのは、やはりすごいアニメだったんだなぁと思いました。




なんだかとてもつらい気持ちになってひっかかっているのが、後半の、別れるまえのエドワードとマスタングさんの会話と、タッカーさんを見送ったエドワードとイズミさんの会話です。

この2カ所はなんとなく会話のための会話のような感じがして、あんまり人間味がしないように感じてしまったのですが、内容にもなんだかもやもやしたものを感じてしまって、とても印象に残っています。

エドワードとマスタングさんの会話、エドワードはこの世界に自分と関係ない戦争なんてない、というようなことを言っていたように思います。

このエドワードさんの言葉、そのときは自分というのはイコールこの世界に生きるみんなのことだと思いました。
全は一、一は全でみんな世界の循環の中にいるんだからみんなが立ち向かわないといけないと言っているのかなぁ、と感じたのですが、その後のエドワードの言動を見ていると、エドワードのいう自分って、エドワード自身のことしか指していないのかなぁと思えてきて、なんだかもやもやとした気持ちになってしまいました。

なんだかエドワードが、この世界にエドワードと関わりのない戦争なんてないから、エドワードが一人で傷だらけになって戦わないといけなくて、エドワードの後ろには傷だらけになって守らなければいけない人しかいないと思っていそうな…

そんな風に思ってしまうと、あんまり上手く言えなくて嫌な言葉になってしまいますが、エドワードがアルフォンスをはじめとした周りの人が、困難に立ち向かうなんてできない、無力な人だと思って見下しているような感じを持ってしまい、あまりにもエドワードが人を信頼していないように思えて、悲しいような悔しいような気持ちになってしまいました。

もう一カ所、タッカーさんとニーナを見送ったエドワードとイズミさんの会話も…

エドワードが抜け殻のニーナを抱えて地下に消えていくタッカーさんに、あのニーナがタッカーさんの罪の形だから、それを抱えて生きていかなければならない、みんなそうやって生きてくんだから、というようなことを言っていた部分があったように思うのですが、
この言葉が、同じように亡くなってしまった自分の子供を錬成して、それを抱えずに扉の向こうに渡してしまったイズミさんに対するすごい非難のように感じてしまって、びっくりしたのと、悲しい気持ちになりました。

多分、そういったエドワードは自分の手足やアルフォンスのことを思っていったのかなぁと思ったのですが、それでもあまりにも自分のことしか見ていない気がしてもやもやしたのと、その後のイズミさんの大人になったな、という言葉も、エドワードがあんなに反発した大人と同じになった、という皮肉なように受け取ってしまって、つらい気持ちになってしまいました。
本当にイズミさんがエドワードの成長を感じたのかもしれない、と思ったのですが、ああいう…突き放したような、見て見ぬふりができるような、そんなことができるのが大人になることだというのはちょっと悲観的すぎるなぁと寂しくもなってしまいました。

そんな感じを持ってしまったのでこの二カ所はネガティブな意味でとても印象に残ったのですが、考えてみると、周りの人を信頼して任せられなくてやってしまう人に負担がかかってしまい、できる人はひたすら疲れていくしできない人はできないまま自信を失っていくような、そんな歪な感じになってしまうチームとか、自分を責めたつもりが周りにいる人も責めた形になってしまってみんなが傷つくようなことはよくあるような気がしてきました。

自分が内側にいると、こういったことは見えにくくなると思うので、私自身がこんな風になっていないか気をつけないといけないなぁと思いました。

2008/05/14(水) | 鋼の錬金術師 アニメ版 | トラックバック(0) | コメント(0)

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